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2007年02月06日

enlightment

腹が立つ。

なぜ腹が立つか。
それは自分の意図していることと異なる事象が発生するから。

よく口論や喧嘩など、人間というものは幾度となくぶつかり合う。
その大半がエゴと言われるケースもあるが、何かしらの事実に基づいた主張要素が正当にぶつかり合っている。

ではその喧嘩でどのように自分の便益を獲得することができるのか。
それには大きく以下3つの壁があると考える。
①自分の主張の妥当性
②伝達するための技術
③相手の魂と姿勢

自分自身整理したいので順々に書いてみる。

①自分の主張の妥当性 ~ ロジック&エビデンス・・そして限界!
物事を伝える際に自分の考えは勿論のこと、何かしらの理論(ロジック)+根拠(エビデンス)を付けて説得力を高めることがある。
しかし物事すべてを絶対評価することはできない。
ここでは、情報武装としては限界があることを認識することが必要である。
ただ、限界ということは1つたりとも余地が無いことを証明しなければ物事を棄却・否定できないので、相当難しい。
したがって、次の伝達(コミュニケーション)技術との連携が肝となる。

②伝達するための技術 ~ 北風と太陽・・そしてクリティカルヒット!

自分の理論・収集情報を相手に否定されず理解してもらうためには、伝達方法として直接的もしくは間接的な技術を使い分けなければいけない。
直接的と勝手に定義するが、北風と太陽の北風のように真っ向から仮説理論・情報・結論を伝えることだ。
それに変わって間接的とは、太陽のように外堀から埋めていく方法であり、最終的には相手に逃げ場を一切やらず追い込む(悪く言えば)ズル賢い方法だ。この方法だと、ある意味相手に有無を言わせないため、主張内容に多少の「穴」があったとしても相手は圧倒される。
ソクラテス式とか色んな類似理論があるが、難易度が高くHit率が低いものの、効果は他の何をも凌ぐほどの最大呪文と言えよう。
ただ、あえて上記でも「相手に理解してもらうため」と書いたが、これで相手が「受け入れる」とは限らない。
そこが、相手の持っている想い(魂)とやる気(姿勢)次第だ。

③相手の魂と姿勢 ~ ステークホルダー分析/対応・・そして感動を!

正しい内容を適切に伝達したとしても、100人中100人全員が心から納得することはありえない。
それは何故か。人それぞれ経験は異なることによる前提が多少なりとも食い違っているわけだ。
これは如実に相手の表情や感情度合いが見て取れる。激しく抵抗・反発している人も難しいが、想いはしっかりしているキーマンであるのに興味が全く無い(やる気が無い)という人も同じくらい難しい。
ここでは生半可な方法では切り崩すことは難しい。バーターして手を打つこともあれば、実体験によって解決するパターンもあれば、時間や酒を共有することによって解決することもある。
これは状況によって瞬時に把握し対応するスキルが必要である。個人的には場数(経験)と手玉(切ることができるカード)だと思う。
どんな局面にあっても、最終的には相手も自分も(色んな意味で)Happyになることが目的だ。
そのためには自分は何にでも対応できるプロ(悪く言えば何でも屋だが・・)として、相手を認識・理解・受容させた上でさらに感動させなければいけない。


今まで仕事などでもクライアントから「(工藤さんに)惚れた!」とか「工藤さんなら何でもやってくれる(解決してくれる)」とか「Genius/Smart」と言われた時には冥利に尽きる思いだった。
ただ、最近色々あって正直自分の軸が少し歪んでいるのではないかと感じてきた。(決して正しくないわけではない)
理由としては色々あるのだが、少し見直した方が良いのかもしれない。
本当のプロなら、自ら状況を作り出し外的要因も想定した環境構築まで実現すべきである。

たまたま今、最近日々積もり積もってきた怒りが爆発しそうになったので、あえて冷静に上記のようなことを考えてみた。
大層なことを書いてしまったが、ヒヨっ子の自分自身に対する整理の1つなので、備忘録として残す。
ざっと挙げるとキーワードは以下だ。

“人の己を知らざるを憂えず。人を知らざるを憂う。” from 「論語」
“自分の前には道はない。自分の後ろに道が出来る。” from 「道程」 by 高村光太郎
“人は成長するにつれて、だんだんその責任が重くなっていきます。そして、成人に達すると法律的にもはっきり少年のころとは違った責任を問われます。また、次第に高い地位につくようになると、それだけ責任が重くなります。  しかし、人はもともと責任を問われるところに、人としての価値があるのだと思います。責任を問われることが大きければ大きいほど、それだけ価値が高いということが言えましょう。ですから、責任を問われるところに、生きがいもあろうというものです。責任を背負い、そのことに生きがいを覚えないとしたら、年齢は20歳をどれだけ過ぎようと一人前の人ではありません。” from 「一日一話」 by 松下幸之助

さて、どうしようか。

投稿者 takeharu : 2007年02月06日 18:25

コメント

なるほどねー
こりゃ肉でも食いながら話を聞くしかないかね?

投稿者 okayama : 2007年02月07日 07:00

3つの壁

① まずは、相手の心が折れるまで恫喝する。
② 折れてるのに、さらに追い込んで、『徹底的』という意味を実感してもらう。
③ 最後に少し優しくする。

ってのはダメ?

投稿者 yama : 2007年02月07日 09:36

3つの壁

① まずは、相手の心が折れるまで恫喝する。
② 折れてるのに、さらに追い込んで、『徹底的』という意味を実感してもらう。
③ 最後に少し優しくする。

ってのはダメ?

投稿者 yama : 2007年02月07日 09:37

okayamaさん

1つの結論が出ました。今度ひさしぶりに肉食いましょう。

yamaさん

おっしゃる通りのヤ○ザ論法も大賛成です。
すべてが相手に対する愛情表現ですよね。(笑)

投稿者 takeharu : 2007年02月15日 11:49